読書 梶井基次郎 「檸檬」
「得体の知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。」
この文章から檸檬は始まる。
彼の中にあるその「不吉の塊」とは何か?
それは、身体に少しづつ蓄積して、彼の感性を鈍らせていく毒のようなものなんだと思う。
京都の街を歩きながら、京都の美しい街ではなく、生活感があり、汚れた側面...路地裏を歩き、生命力溢れる植物を見て、他の街にいるかのように自分を錯覚させ、自分自身を見失うことを楽しむ。
彼は、借金、病気により、生活に苦しんでいる描写があり、昔の良い思い出を想起させるものを見て、心を重くさせている。
現実逃避な行動中に気に入った八百屋のような果物屋に訪れる。
その店では珍しい檸檬を買うのだが、その檸檬を買ったことで、彼の心が、晴れて子供のように楽しむ。
「つまりはこの重さなんだな」
という、感覚的な納得をする。
その後、彼は自分の心の重さの現実との境目が曖昧になり、丸善という店であるイタズラをして、まるで子供のような、あるいは爆弾魔のような気持ちで店をでて物語は終わる。
この作品の概要を主観も交えて書いたけど、面白いところは文の表現や今は使われていない言い回しと、現代でいえば、厨二病とも捉えられる考え方や行動だと思う。
梶井基次郎の他の作品は、読んだことないけど、描写や心に染み入るような納得の仕方が、誰しも感じたことや考えたことのある、自分の中にあるものを彷彿とさせるところにあるんじゃないかと思った。
ネタバレありで書きましたが、古典なので、読んだこともある人も多いと思いますが、違った解釈などあると思いますので、その場合はコメント下さい。
この作品は26ページほどの短編なので、未読の方も良ければ読んでみてください。
また、読書したら書きますので、よろしくお願いします。
ありがとうございました!